適応



 仮眠室のドアを3回ノックする。今となっては単なる形式でしかないそのサインを律儀に受け取るはずのその男は、今日に限っては何の反応も示さなかった。待っているのも煩わしいので勝手にドアを開けて部屋に入ると、数日間に渡って室内を独占している男は居眠りでもしているのか机に突っ伏していた。眼鏡の蔓が曲がりそうなのも気にせず眠っているのをみると余程疲れているらしかった。しかしそんなことはヴィンセントの知ったことではない。どうやって起こそうかと男に近寄ったところで、鼻にかかった声がヴィンセントの名を呼んだ。
「起きてるよ」口ではそう言いながら、宝条は身体を起こそうとしなかった。ヴィンセントは所在なさげに片手を自分の腰に当てた。「何か用か?」
 聞かなくてもわかってるけど、と宝条は投げやりに言った。眠る前にスペースを空けるため書類と雑品をどかしたらしく、机の上は乱雑だった。宝条は身体を起こして眼鏡の位置を直し、ヴィンセントの方に向き直った。暗い眼窩にはまった両目は危うげな光を宿してぎらついていた。
 ルクレツィアが心配するのも無理はない、と彼は思った。そして、彼女は宝条の支えにはなることはできないだろう、とも思った。間違いなく宝条は劣等感を克服できずに自滅していくタイプだ。そして自分は今からそこにつけ込んで彼の崩壊へ向かっていく速度を早めるのだ。それに関してヴィンセントはびっくりするほどに無感情だった。どちらにせよ彼が自分に対して薄暗い思いを抱き始めたことが、最初にして、致命的な誤りだった。れっきとした交際相手がいるのに、だ。ヴィンセントは宝条に対して義憤と嫌悪感をおぼえた。ルクレツィアが自分の方を向いてくれないならば、不本意ではあるが、せめて宝条と幸せになってほしいと思っていた。なぜ彼女の好意を無下にするような真似をする。おまえが真っ直ぐに彼女を愛してやるべきなのに。
 できることならば自分が宝条の代わりに彼女を愛したいと彼は願った。しかしヴィンセントは宝条の代わりになることはできないし、彼女がそんな望みを抱かないことも明白だった。彼から向けられる思いに応えるなどもってのほかだ。彼は出会った頃から宝条という男をよく思っていなかった。
 ふつふつとした怒りと欲求不満が入り混じったどす黒い感情は、時折ヴィンセントの気性をどうしようもなく昂ぶらせた。未だ宝条がヴィンセントに対して燻らせているものを、彼自身が最も感じ取っていた。だからヴィンセントはそれを利用して溜まりきった憎悪を発散する。何の解決にもならなかった。ヴィンセントがルクレツィアに抱く好意を諦められずにいるのも、それに拍車をかけているようだった。
 宝条が軽い欠伸をした。浅い眠りから覚めた直後の厚ぼったい表情がヴィンセントの情欲をもどかしく燃えたぎらせた。
「……跪け」
 捕虜に対して命令するように低い声で彼は科学者に言った。宝条は椅子から動かずじっとこちらを見つめている。人を喰ったその目つきが癇に障る、最初のうちは怯えて身体を竦ませていたのにずいぶん慣れてしまったようだ。ヴィンセントは苛立ちを抑えながらもう一度科学者に命令した。
「跪けと言ったんだ」
 宝条は重い腰を上げて言われたとおりにヴィンセントの前に膝をついた。ヴィンセントは腰のホルスターからガバメントを取り出した。ホルスターを外し、ベルトも外してスラックスと下着を下ろすと、血が集中し始めている陰部が顕になった。
「舐めろ」
 突きつけた銃口が宝条の頭に触れて軽い音がした。特に目立った抵抗はなく、宝条はヴィンセントの陰茎を握って先端を舌でちろりと舐めた。しばらくの間、そうやって舐めていたが、やがて口腔内に亀頭を含み、擬似的なピストン運動を始めた。唾液を含んだ水っぽい音がひっきりなしに響いた。
 従順すぎる。ヴィンセントは嫌な顔ひとつせず口淫する宝条に眉を顰めた。嫌われても一向に構わない(いや、嫌われなくてはならない)、と考えていた。しかしこの行為を重ねていくうちに、むしろ彼は躾けられた動物のように無力化され大人しくなっていった。少しくらいは抵抗された方がまだ可愛げがあるように思う。無闇に暴行をはたらいて、それが明るみになると面倒なことになり、ルクレツィアを悲しませるので彼はこれ以上手を出すことはできない。ヴィンセントが引き金を引けないということもわかっているはずなのに、この男はあくまで無機的に従うだけだ。どうして事がうまく運ばない。自分の思惑を知っていて、あえて従順にふるまっているのか。そして、状況を楽しみさえしているのか。
「もう、いい。下手糞」
 不愉快さを隠さない声音で、ヴィンセントは言った。宝条はすぐに動きを止めて口腔内からヴィンセントの陰茎を解放した。しかし、むずむずとした性感がこみ上げてくるのを抑えきれず、結局ヴィンセントは宝条の顔に粘液性の液体を放った。宝条は呆然と目を瞬いていたが、眼鏡にも付着したその体液に気付いてくすりと笑った。
 羞恥とも苛立ちとも取れぬ激情がヴィンセントを襲った。彼は宝条のこめかみと顎に手をかけて無理やり顔を仰向かせると、眼鏡を外して後方に放り投げた。そこでようやく宝条が、焦点の合わぬ目でヴィンセントを睨みつけた。
「私の眼鏡を乱暴に扱うのはやめろ」
「自分のプライドより、眼鏡の方が大事なのか」
「ああ。あれがないと、仕事ができないからな」
「……もういい、喋るな」
「眼鏡を、」
「うるさい」
 片手に持っていたガバメントの銃口を宝条の口腔内に押し込めた。互いに何も言わない間が続いた。
 それから何を思ったのか、宝条はグリップに手を添えて銃身を奥まで咥え込むのだった。ヴィンセントの背筋が粟立った。自殺しようとしているように見えた。しかし宝条は、引き金に手をかけることはなかった。誘惑するように、銃身を舐め続けた。彼は口淫同様の動きでゆっくりと前後に運動し、わざとらしく音さえ立てながら銃身を弄んだ。ヴィンセントは生唾を飲み込んだ。不本意なことだが彼は再び下腹部に熱が集中するのをおぼえた。
 どういうつもりなんだ、この男は。苛立って噛み締めた歯が小さく音を立てて軋んだ。

 悪くはない、と宝条は思った。抵抗することを諦め、ヴィンセントによって<躾け>られることを受け入れてからは、心を塞いで肉体的な快楽のみを楽しむ術を覚えた。
 環境には早く順応してしまった方がいい。それに、たとえ歪みきった理由であっても、彼は自分を必要としていて、自分は彼の欲求に応えられているらしい。そう思うと、宝条は自分の心が少しだけ満たされるのがわかった。
 私は彼に必要とされたかったし、私には彼が必要だった。
 たとえ不満を発散する道具程度の存在でしかなかったとしても、私は彼の心の隙間を埋めるものになりたい。
 背後から荒々しく突き上げられながら、宝条はそう思った。
 異性同士のセックスのように身体を愛撫されることはなかったけれど、排出口だけでヴィンセントの熱の高まりを感じ、痛みの入り混じった確かな快楽を得られるほどに、彼の身体は慣らされていた。また宝条は、基本的には行為の最中に勝手に話を始めることを許されなかった。顔を合わせることも名前を呼び合うことも、それ以外の言葉を発することもなく、彼はいつも背後から腰を掴まれ、配慮の欠片もない淡々とした性処理と鬱屈した感情の放出を受け入れなくてはならなかった。彼にはヴィンセントの憤激やその不満の理屈を頭で理解していたが、そういったものでさえ彼には悦びと錯覚するように順応してしまっていた。だから彼は、ルクレツィアを愛していながら心の奥底でヴィンセントを気にかけることをやめようとしなかった。どちらが本心であると断定することもできなかった。どちらも彼の本心といった方が、はっきり説明がつくように思えた。
 射精し、ヴィンセントが萎えた性器を引き抜いて宝条の身体を押しやると、宝条はその場にしゃがみ込んで途切れがちに肩で息をした。睡眠不足で体力を消耗した身体を暴力的に犯されるのはひどく堪えることだ、彼は軽い吐き気に喉を詰まらせながら壁に手をついた。ヴィンセントは制服を整え、ホルスターに銃を突っ込むと振り返りもせずそのまま部屋を出て行った。饐えた匂いが部屋中に充満し、更に宝条の気分の悪さを助長した。自分は使い捨ての玩具のように扱われている、と彼は感じた。それほど愛着を抱くわけでもない、鬱憤を晴らし、弄ばれるだけの関係。しかし、相応な役柄だと彼は思った。自ら望んでこうなったわけではなかったが、見ていて恥ずかしくなるような同性同士の甘い関係も求めてはいなかった。ただ、ヴィンセントを執念的な目で見ていただけだ。彼にはその視線が不快で、迷惑だったから、自分はその罰を受けているにすぎないのだ。その罰ですら、病的な狂おしさを伴いながら彼を心地よく圧迫する。愛されることなど永遠にないと最初からわかっているし、それだけで十分だ、十分じゃないか。
 宝条は、自分の視界がゆっくりと回転するのを感じながらその場に倒れ伏した。体液にまみれた尻を洗浄しなければならないが、身体的な疲労感に抗うことはできなかった。
「ヴィンセント……」
 助けを求める代わりに震えた声で彼はタークスの名前をつぶやいた。部屋には生ぐさい空気が立ち籠めていて、彼に反応する声は永久に聞こえてこなかった。





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