ありし日のきみ




 暗澹とした色合いの雲が、空全体を覆っている。
 どうしてこうも連休最終日というのは気が滅入るのだろうか。仕事にはやり甲斐を感じているものの、こう休みが板についてしまうと、さすがの宝条も連休明けというの名の月曜日が恨めしく思ってしまう。それも終日雨が降ったり止んだりときている。
 気晴らしにラジオをかけていたものの、連休の話題ばかりが続いて飽きてきたので電源を切った。写真を見るだけで文字が入ってこない雑誌のページをめくる手も止まる。
 手持ち無沙汰になったところで、インターフォンが鳴ったので宝条はドアを開けた。絶妙なタイミングだ。
 チェーンがかかっているドアの隙間から、漆黒の髪とスーツが覗いている。何もかもが雨でびしょ濡れだ。
「ヴィンセントか」
「ああ。会社出た途端に雨に降られて。入れてくれないか」
 それほど遠くないのだから自分のアパートに帰ればいいだろうに、と宝条は思ったがここで追い返すのもひどい話だ。チェーンを外してヴィンセントを中に入れ、タオルを持ってきて濡れた髪と服をごしごしと拭き始めた。やや乱暴な仕草にヴィンセントは痛い、などとと文句を垂れたが宝条は水浸しで訪ねてくる方が悪い、と即座に言い返した。
 それが終わると上着をひっぺがされ、すかさず湿った頭にドライヤーの熱気を浴びせられる。ぶつくさ小言を言いながらも、宝条は意外と面倒見がいいことにヴィンセントが気づいたのはこの時のことであった。粗暴な扱い方ではあるが。
「休日まで仕事とは、熱心なことだ」
「……タークスに、世間一般でいう連休だの休日だのは無い」
 あるのは大掛かりな仕事の後の一日だけだ。ヴィンセントは今日までに自分が置かれた過酷な状況を思い出し、嘆息した。
 それでも給料には見合っているから仕方がない。仕事は辛くても、下手な一般企業で働く同年代の平均よりも高収入だという最大のメリットがある。
「私の個人的な見解だがね」
 ヴィンセントの世話が終わると、宝条は煙草の煙をくゆらせ始めた。
「君にタークスの仕事は向かないんじゃないか」
 ぎくり、とした。ヴィンセントは何も言えなかった。赤い瞳は宝条の顔を見ているようでいて、その視線は宙を舞っている。
 人殺しが自分に向かないことは知っている。現に、今でも殺した人間が出てくる悪夢に魘されることがあるのだから。だが、10代の時にスカウトされてここまで来てしまった以上、高収入という条件を捨てて他に転職する気もなかった。この仕事が身についてしまっているからだ。人殺しや他人を騙すという汚い仕事が長年自分の手に染み付いてしまっているから、今更他の仕事で食いつないでいける自信はない。しかしそんな汚れた手をした自分が、時々ひどく恨めしくなるのも事実だった。ヴィンセントは本当に自分が愛するひとを抱きしめるということはできないし、意を決して肉体的に近づくことができても後で必ず自己嫌悪に苛まれた。
 ――だが、なぜだかこの男といる時はそんなことは気にならない。宝条の人となりが汚れているからだろうか。しかし、そもそもこんな男はおおよそ、ヴィンセントが好意を向けることができる相手ではない。
 ――それなら、なぜ、ヴィンセントは宝条と離れようとしないのか。
 ヴィンセントの瞳は揺らいだままだった。宝条は困惑を顕にしている彼を見ながら、ふうっと嘆息して、それから頬杖をついた。
「図星だな。君はすぐわかるんだよ。それでよくタークスの仕事なんか務まるな」
「いや……」
 わかりやすい人物に、他社のスパイなぞを任せられるはずがない。ヴィンセントは他人の心を探り、それでいて自分の心は絶対に知られないようにしなければならない。それができているから、タークスに抜擢されたのだ。無論、総合的な能力が試されるこの職業では、ある特定の能力だけに特化していても意味はないのだが。
 宝条はヴィンセントの瞳を覗き込むように見た。会って数年になるが、真っ黒い宝条の瞳には、何も潜んでいないようにみえる。それなのに、彼はまるでヴィンセントの内面を見通しているかのようにものを言う。
 ――それは違う。彼の前でだけ、ヴィンセントは本当の自分というものをさらけ出せているのではないか。
 はっきりと、そんな気がしたのだ。
「あんたが、異常なんだ」
「そうか、異常か」
 侮蔑ともとれることを言われたにも関わらず、宝条は、さもおかしそうに笑うのだった。


 雨が降っている。
 やがて話題も尽き、冷たい雨音が容赦なく彼らの鼓膜を叩いた。
「止まないな」
 ヴィンセントは窓の外を見た。相変わらず、空は灰色だ。
「雨は、好きじゃない」
「そうだな。私も、あまり好きではない」
 むしろ好きな人間がいるものか、とヴィンセントは思う。行動範囲は狭まるし、今日のように降り続いている日は無条件で憂鬱になる。雨の中での任務などは最悪だ。
「だけれど」
 宝条は2本目の煙草を灰皿に押し付けた。そして、座っているヴィンセントの肩に腕を回した。
「今日みたいな日に、君と一緒に過ごすのは好きだ」
「なんだ、それ」
「泊まっていかないか。どうせ明日は休みなんだろう」
 断る余地はヴィンセントにはなかった。一人で過ごすのが嫌だからここに来た、というのもどうせ宝条には読まれていることだろうから、今更それを隠す必要もないのだ。
「じゃあ、お言葉に甘えて」






まとまらない話ですみません