It's a fire




  年中湿った空気が充満している地下室は、昨今更に空気が悪くなっていた。たぶん、梅雨の時期だ。雨が降っていると、神羅屋敷は余計に廃屋じみた寂寞感が増すようだ。そんなところに一人で眠っているだけの日々を過ごしていると、自分はこの世の存在ではないのだ、ということがひしひしと感じられる。わたしは魔物には違いなく、もはや人として生きることはできなくなっている。それは当然の罰であり、抗う余地などないということも、知っている。知ってはいるのだが、彼がこの場に留まっているだけで、湯水のように湧き上がる憎しみを隠すことに徹しなければならなかった。わかってはいるのに、奥底にこびりついたひとりの人間としての自分が、あの男への負の感情を生み出すのだ。だが、わたしが彼を憎んでいい理由がどこにあるというのだろう。わたしは彼らを止めることができなかった。このままでは事態は最悪の方向に向かうと、薄々でも感じていたのに引き戻すことができなかった。その結果として、わたしは想い人と、そして人としての未来を喪失した。彼は厄災の子に対する葛藤と、永遠のコンプレックスにさいなまれ続けることだろう。  わたしは愚かだ。おそらく彼は、彼自身を焼く炎にすらも、気付いていない。

 いつものように、彼はわたしを押し倒すと(というよりも、わたしが押し倒されてやった)、拘束具じみたわたしの服をがちゃがちゃいわせながら手際よく脱がした。わたしは彼の頬に触れた。肉が削げ落ちているような硬さだ。またろくな生活ぶりをしていなかったに違いない。以前から状態は改善されていない。むしろ悪化の一途を辿っているように思う。薄暗さで相手の顔はよく見えないのだが、きっとわたしよりも老けこんで、髪の毛は無造作に伸びて手入れもされていないようだ。
 美しい指がわたしの首筋に触れた。そのまま絞め殺されそうなほどの、ひやりとした冷たさだった。ほんとうに首を絞められるにしても、彼の力ではそこまでに至れないし、今のわたしの生命力では死ぬことすら許されないのだろうが。永遠かと思われるような苦しみが続くだけだろう。まったく計算しつくされた懲罰だと思う。
 唐突に、彼は嗤い始めた。初めて会った頃からかわらない響きだというのに、引きつった声にはある種の悲しみすら感じられた。心の底から嗤っているようにみえた。そして、心の底からむせび泣いているようにもみえた。
 なにがおかしい。彼は、私の問いかけを無視して嗤い続けた。というより、耳に入ってすらいないのかもしれなかった。
「宝条。なにがおかしい」
 返事を待たずに、わたしはやんわりと彼の胸を押し返した。ものも言わずに、彼は組み伏せられた。彼はまた、からからと嗤った。眉根を寄せながら、唇を引きつらせているのが、わずかに見えた。苛立たしくなって口付けた。嗤う声は、呻き声に変わった。
 わたしの服を脱がすより彼の白衣を脱がす方が、ずっと容易いのだ。くちづけ合っている間に、彼はあっという間に服を取り去られ、色の悪い素肌が顕になった。行為が進むにつれ、肌寒さは熱に変わっていった。彼はわたしに抱かれて恍惚の声を漏らした。相変わらず薄暗さで顔ははっきりと確認できなかったが、苦しんでいるようにはみえない。痛みに耐えているような様子もない。科学者はこの瞬間だけを求めて地下に降りてきているのかもしれないと思わせるような、乱れた姿だった。わたしはいつもそれに欲情、あるいは少しの憐憫の情をおぼえ、彼をかばい、愛撫する。わたしが彼を憎む以上に、彼は小さな存在なのだ。だから、いつくしむような触れ方をする。彼はいつもわたしに縋りつき、残された傷跡を確かめようとする。
 雨音が遠くで聞こえているような気がした。しかしここは地下室であって、外のことなどわかるはずもない。行為が終わって、わたしは彼を抱きしめた。もう何も言わない、事切れた屍体であるかのように、彼は眠った。情交に及んでいた頃の体温は、すっかり下がってしまっていた。

 わたしには彼を包む炎がみえる。そしてその炎はいつか、わたしもろとも彼を焼きつくすだろう。





改造直後の情緒不安定な博士はいいものだ。タイトルはPortisheadより引用。