Smoke




 終わった後に煙草を吸う女は嫌いだ。
 ヴィンセントははっきり口に出すわけでもなく呟いた。彼の隣には服を着ないままの科学者が寝そべって煙草を吸っていた。気だるげな表情で分厚い本のページを繰っている。セックスの直後によく本なんかに集中できるものだと彼は思った。むしろ射精した後だから頭がすっきりしているのか。宝条はちらりとヴィンセントの方を見、紙巻を口から離した。
「理由を聞いてもいいか」
「まるで……自分との行為をなかったことにされているような気になる」
 仕事上でもプライベートでもそのような女と幾人か付き合ったが、ヴィンセントはそもそも女が煙草を吸っているそのさまを一度も好きになることはできなかった。煙を顔に吹きかけられたことさえあった。疲れたような冷めたようなその表情が、好きにはなれなかった。仕事で仕方なく付き合っているだけというシチュエーションでも、まるで自分が蔑ろにされているような気になった。どんなに愛し合っても、それだけで彼には溝ができてしまうのだった。
「なるほどね」
 納得したようなしないような微妙な表情を浮かべると、宝条は再び紙巻を口に咥えた。そして一気に煙を吸い込んだ。辺りに特有の臭気が立ち籠めていた。
 鼻から煙を吐き出すと、宝条は再び口を開いた。
「でも、君も煙草を吸うだろう?」
「おまえほどじゃない。だいいち、わたしは事後に吸ったりなどしない」
 そうか、と宝条は相槌を打って煙草を灰皿に押し付けた。灰皿には吸い殻がもう1本残ったまま、煙が立ち上っていた。
「では、さっきの発言はどういう意味だ。私に煙草を吸うな、とでも?」
「そうじゃない……」
 そうじゃない、と呟いてヴィンセントは沈黙した。彼に詰問した宝条の口調は刺々しい風があるわけでもなく、むしろ落ち着いていたが、唐突に針を刺されるような気持ちが、ヴィンセントにはした。自分でもなぜそういうことを言ったのかわからなかった。取り立てて訊かれるようなことではないと思ったし、相手がこのような質問を投げかけるとは思いもよらないことだった。宝条は少し困った表情をしてヴィンセントを見詰めた。本には栞が挟まれ、いつの間にか閉じられていた。ヴィンセントは科学者の方を見ることができなかった。ただ俯いているしかなかった。
「私は、君が喫煙しようがしまいがどうでもいいんだけどね」
 骨ばった指がヴィンセントの顔に触れ、相手の方を向くことを促される。ここで頑なに目を合わさなければ不自然だと判断したのでヴィンセントは仕方なく宝条を見遣った。
「君は、私が吸ってるのが気になるようだな」
「そういうわけでは」
「じゃあ、なぜ嫌そうな顔をする?」
 そう言われて初めてヴィンセントは、眉根が寄っていたことに気づいた。眉間に手をやると思わず溜め息が出た。彼が喫煙することが、なんだというのだろう。自分にはいっさい関係ないはずなのだ。こんな男に対してそんな執着心を抱く理由がない。ただなんとなく、彼の目的に合わせて身体を重ね合っているだけだ。
 宝条は薄笑いを浮かべていた。
「もう1回するか?」
「勝手にしろ」
 そうして彼らはゆっくりと互いの身体を抱き合った。熱い吐息と微かな声だけが彼らの関係を主張していた。
 まぶたにキスを落としながら、宝条が言った。
「簡単だよ。きみ自身がわかっていないだけさ」