彼らの宿命




 久方ぶりの来客はこれまでとは明らかに違っていた。棺の蓋をいきなり開け放されたかと思うと、まず目に入ったのは見知らぬ銀髪だった。あまりに唐突すぎる目覚めに頭がくらくらしそうだったが、それでも顔を動かして碧色の目を仰ぎ見た。不思議な目をした少年だった。肌は健康的だが青白く、未熟な顔立ちは完璧すぎるほどに整っていた。彼はわたしの目が開いているのを確認すると、その異様な瞳でじっとわたしを覗きこむのだった。
「……何か用か」
 と声を掛けると、少年は涼やかな声で言った。
「あんたは誰だ? 宝条博士のサンプルか?」
 そうだ、と答える以外になかった。今のわたしは宝条の実験成果であって、ただここに眠らされているに過ぎないからだ。この少年は何者なのだろう。いくらか親しげに宝条の名を呼んだことからすると、彼の知り合いか、あるいは新しいサンプルか。宝条に何らかの実験をされたのなら、この少年の纏う異質な雰囲気にも納得がいく。この屋敷は一般人が気軽に入れるような場所ではないし、神羅の関係者だったならここまで足を運ぶことができたのも当然だろう。年端もいかぬ子どもではあったけれど。
「それが本当なら、あいつは本社以外の場所にもサンプルを放置してるってことになるな……何を考えてるんだか。管理が手ぬるすぎる」
 少年は顎に手をやった。そして「かわいそうに」とでも言いたげな目で再びわたしを覗きこんだ。
「ずっとここにいるのか? 逃げ出そうと思わないのか?」
「君には関係のないことだ。子どもが来るべき場所じゃない。……早く家に帰るんだな」
「オレの家は神羅カンパニーだ。ここからだと飛空艇でも使わない限り1日以上はかかる」
 だから宝条と宿屋に泊まってるんだ、と少年は指で後方を指さした。どうやらわたしの予測通りだったようだ。頭が痛くなってきた。宝条はこんな子どもでさえも自分の実験に使っていたのか。それはともかく宝条は少年をこんなところまで連れ回していったいどんなつもりなのだろう。ニブルヘイムに来ているのならなぜ会いに来ないのだろう。
 少年はミステリアスだったが、まだ無垢な部分を所々に秘めているように思えた。大人びた態度に反して、わたしを見る目つきは純朴そのものだったからだ。サンプルだとは思えなかった。サンプルでなければなぜ宝条は子ども連れでこんなところにいるのか、余計におかしな組み合わせだった。彼が不在でなければ顔を見てみたいものだった。
「君は誰だ?」
「……セフィロスだ。あんたは?」
 少年はどこか照れくさげに名乗った。その瞬間、戦慄とも驚愕ともつかぬ感情がわたしの中を走り抜けた。長い眠りの中で忘れかけていた名前だった。彼女との間に生まれた子の名前を、宝条に昔聞いたことがあったのだ。彼はあまり口にはしなかったが、「セフィロス」。確かにそんな名前だったような気がする。
「どうした? 具合でも悪いのか」
「いや……」
 彼らの息子だという事実が判明すると、少年と目を合わせることが少し苦痛だった。しかし少年は心配そうにわたしの方を見た。本当に彼らの遺伝子を受け継いでいるのだろうか、美しい銀髪も変わった虹彩を秘めた碧眼も、おおよそ彼らの外見的特徴には見られないものだった。
「こんなところに閉じ込められて、気分が悪くならないわけがないだろうな。あんたを助けたいが、宝条に見つかる前にここを出なくちゃならない」
 オレが屋敷に入ったことがバレると面倒くさいことになるんだ、と少年は肩を竦めながら言った。
「いつかあんたを助け出してみせるから……またここに来た時に……」
 その必要はない、と言いかけて口を噤んだ。いつの間にか、セフィロスが振り返った先のドアに、見慣れた白衣の男が立っていた。少年は気まずそうにその姿を睨め付けると、小走りに地下室を出て行った。

「いつからそこにいたんだ」
 右腕から採血されるのを横目で見ながらわたしは彼に尋ねた。
「ちょうど君たちが、助けるだの助けないだの話していたところから」
 なんでもなさそうに彼は答えた。怒っているような素振りは全くなかったがずいぶんと血を抜き取られた。抜かれたところで特にどうということはなかったけれど。
「あれに余計なことを吹き込んだんじゃなかろうね」
「まさか」
 宝条は抜き取った血液を試験官に保管すると、鞄に詰め込んだ。
「……どうしてセフィロスを連れ歩いているんだ」
「働き過ぎだと言われてね。上から無理矢理、休暇とあれを押し付けられた。突然のことだったので何も予定がなく、自分のマンションに彼を連れて帰るのも癪だったのでこっちで過ごすことにしたのさ」
 ここはおまえの別荘じゃないだろうに、と言いたいのを我慢してわたしは黙り込んだ。「助け出してみせる」と少年に言われたときの、同情的な表情が忘れられなかった。それは本気だったに違いない、とわたしは思った。向こう見ずで無垢な少年は、自分がおぞましい実験の末生み出された存在であるということを自覚しているのだろうか。もしその真実を知っているならば、自分と同じ境遇におかれたわたしを見てある種の共感をおぼえたのかもしれない。
「それはないな」
 唐突に思考に割り込んできた声がわたしの身を竦ませた。
「君はセフィロスが、あれ自身がどうやって生み出されたのか理解していると思っているかもしれんが、あいつは何も知らんよ。すべてを聞かされていたら、あんなふうには育たなかっただろう」
「では、彼はおまえが遺伝上の父親だということは知っているのか」
「それも私からは言っていないし他の職員からも聞かされていないと思うよ」
 その告白がわたしには意外だった。確かに今の少年にとっては知らない方がいいのかもしれないが、宝条は一生真実を隠し通せると思っているのだろうか。他人に対してシビアな彼がそんなつもりであるとは到底思えなかった。
「いつかは本人に知られることだと思うが」
「それは仕方のないことだな。私としてはそんな日はあまり来て欲しくないが。助け出す、ね……。それでも実験されながら育ったにしては、心優しい子になった」
 母親似だな、と宝条は言った。そんなふうに私情を織り交ぜて話す彼はほんとうに珍しかったし、セフィロスのことでここまで話をするのも新鮮だった。このまま会話を終わらせるのは勿体ない気分だったがわたしはそれ以上口出ししなかった。口元は笑っていたが彼がどこか後ろめたそうな目をしていたからだった。重苦しい空気だった。声変わりしきっていない少年の声と真剣な表情が再び思い出された。
「人間の性格は、環境と時代と遺伝で決まるというが……。おまえたちの場合、どうなのだろうな」
 セフィロスを探しに行くと言って地下室を出て行きかけた宝条に、わたしは声をかけるともなく独り言ちた。そんな消え入りそうな声でもしっかりと聞き取っていたらしく、彼は眉を顰めて振り向いた。
「またろくでもない知識を仕入れたな」
「セフィロスは、とても良い子に育ったと思うよ。確かに、彼女の子だ」
 精一杯の皮肉を返したつもりだった。大量に採血された仕返しだ。しかし宝条は何も言わず、淡々とドアを閉めて地下を出て行った。目を閉じると最後に一度だけ、少年の無垢な双眸が印象的に脳裏に蘇った。

 あれからセフィロスは何度もわたしたちの目の前に現れては姿を消した。小動物を威嚇するように振り回す剣の残響と、狂気を孕んだ彼の言い分は、幼い頃の出会いとは全く違う意味での異質さを感じさせた。乾いた笑い声は父親のそれを受け継いでいた。シニカルな表情も、昔の彼にどこか似ていた。それを見る度わたしは、悲しみと不甲斐なさが織り交ざった暗澹たる気持ちにとらわれた。結局セフィロスは、わたしを助けだすことはできなかった。
 5年前の事件がなければ彼はこうなってはいなかったのだろうか。それはおそらくセフィロスに関係する者皆が考えることだろう。彼がほんとうの生まれ故郷で、自分自身の真実を知ることが永劫になかったならば、星に復讐するなどという途方もない考えすら浮かばなかったかもしれない。だが、いずれにしろセフィロスの狂気はどこかで発現する運命だったのではないだろうか。5年前のことは単なるきっかけの一つに過ぎず、もっと別の形で歯車が狂いだしていたならば。
 そんなふうに考えると、彼ら親子の宿命が救い難いもののように思えた。最初からわたしには為す術がなかったのかもしれない。父親の狂気は遺伝してしまった。そしてそれを発現させる環境があまりにも整いすぎていた。
 再会したルクレツィアにはセフィロスは死んでしまったと伝えた。このときはじめて、わたしは神に祈った。


「せめて、君たち家族に救いを」