地下室と、獣と




 時々、自身に潜む獣たちに身を任せてしまいたくなることがあった。
 寄生虫のように私の身体を間借りし、時に宿り主を異形の姿に変貌させるそれらは獰猛で、制御に慣れるのに数年の時を要した(と言っても昂ぶる意識を抑える程度で、完全にコントロールするまでは至っていないが)。 それまでは獣の意識が私の精神に干渉し、酷いと身体を乗っ取られ、意味のない破壊行動をひたすら続けさせられるのである。 獣たちの原動力となっているのは負の感情らしい。撃たれて、身体を改造されてからしばらくは彼に対する憎しみと、絶望の感情が私の中に満ち満ちていた。今でもそれがないわけではないが、その大半が「諦め」という静的なものに変わっていった。
 憎しみが積もり積もってピークに達した頃――私は変貌する。ヴィンセント・ヴァレンタインという人間から、身も心も、禍々しいモンスターになってしまう。
 地下が封鎖されたのは正解だったと思う。誤って外に出て、村の住人を殺してしまうようなことはないのだから。
 いつしか屋敷は会社にも捨て去られ、ここに来る者はいなくなった。――一人の男を除いて。

 ドアが開く音がした。入ってきたのは一人の科学者だった。薄灰色のトレンチコートと、その下に羽織った長めの白衣が、薄明るい灯りの中に浮かび上がっていた。静かにドアを閉め、男は隅に置かれた棺桶に歩み寄ると、躊躇なく蓋を開けた。
 中には何も入っていなかった。元来、棺は死体を入れるものだが、これに限っては死人のためのものではない。男が改造を施したサンプルの寝場所であった。眠っていないとは珍しい――と、男は開けた蓋はそのままに、しゃがみ込んでいた体勢から立ち上がった。 地下へ降りる階段には鍵がかかっているので、上に上がることはないはず。いるとすれば地下のどこかだ、と男は見当をつけて足を踏み出した。
 その瞬間、叩きつけるようにドアが開かれた。男は動揺の素振りも見せずドアを一瞥した――が、誰も立っていない。
 一瞬、静寂が降りた。訝しげな顔で周りを見回す。誰もいない。コトリとも音がしない。
 では先ほどの現象はなんだったのだろう――。ひとり思案を巡らせていると、突然脛に強い打撃を受け、男は床に転がった。激痛に涙が滲む。情けない、と思いながら男は何かの息遣いを感じた。ふと後ろを振り仰ぐと、スーツの黒い生地が目に入った。
「……ヴィンセント」
 なんだ君だったのか、と声を掛けてうつ伏せの状態から起き上がろうとした。しかしなぜかヴィンセントの手に阻まれ、男は強い腕力で床に押し戻された。顔を顰め、もう一度名前を呼ぼうとして――異変に気づいた。
 全体的に様子がおかしい。ヴィンセントの息遣いは獣のようで、赤い眼が異常な光を放っている。男は直感的に、これは彼ではないと思った。先程見えない何かに足を蹴られたのも、よく考えればモンスター特有の素早さか目眩ましの術に似ている。いつもならこれが私の実験の成果だ、と笑って胸を張れるところだがそれどころではなかった。
 背中に冷や汗が流れる。目の前の彼は私を殺そうとしているのだろうか。確かに殺そうとするほど憎まれても仕方がない。しかし私はここで死ぬわけにはいかない。セフィロスの成長をこの目で見届けるまでは、まだ……。 
 男の肩は両腕でがっちりと押さえられていて、思うように身動きがとれなかった。抵抗できるのは足だけだが、ちょうど自分の腰の両脇にヴィンセントの膝が立っているのでどちらにしろ抵抗する術はない。
 同じ体勢のまま、長い間があった。男は、ヴィンセントの異常に赤い眼から視線を逸らせずにいた。そうしているうちに血を飲んだように真っ赤になった口が近づいてきて、男は反射的に眼を閉じたが、予期した痛みはいつまで経ってもやって来なかった。代わりに感じるのは、首筋を舐めている舌の粘っこい感触で、焼けるように熱い。苦しいことに代わりはなかった。
「ヴィン……セント!」
 名前を呼ぶ声は、届かなかった。ヴィンセントはやがて満足したように口を離すと、男の服を引き裂き、ベルトを壊して乱暴にスラックスを剥いだ――。

「う、ぐ……!」
 狭い場所に無理に入ろうとするそれは、ヴィンセントの表情の冷たさに反して高い熱を持っている。どうやら人間の生殖行為に近しいことをしているらしいが、男にとっては快楽など皆無に等しい。激痛にのたうち回ろうとするのを、ヴィンセントが人外じみた力で抑えつけている。腕が自由になっていても抵抗はできない。下手に抵抗すればもっと乱暴に扱われるかもしれないという恐怖が、彼を思い留まらせていた。
「は……あ、あっ」
 ようやくヴィンセントのすべてで満たされた彼の中は、血とカウパー液で若干滑らかになっていたが、痛みが消えたわけではない。それでもヴィンセントが腰を揺すると、男の口から時折喘ぎ声が漏れた。
「ぁ……も……、いやだ……やめてくれ……」
 人間の言葉を彼がわかっているのかは知れない。掠れた声で何度も懇願する男のことをまるで無視し、ヴィンセントは無慈悲に彼の中を荒らした。男の髪は、身体を無茶苦茶に揺すられたおかげでぐしゃぐしゃになっていた。何度か爪を立てられた脇腹からは血が滲んでいる。そして内腿に咬み傷が一つ。
 男はやがて懇願することを諦め、されるがままになっていた。充血した瞳からは光が消え、そこから耳たぶにかけて涙が流れている。
 罰なのだろうか、彼は思った。気づいた頃には何もかもが手遅れで、もう元には戻れなかった。目的の邪魔になるものは排除するべきで、ヴィンセントもまた彼の障害でしかなかった――はずだった。だから射殺した。それなのに、銃を降ろした瞬間から吐きそうなくらいの罪悪感が込み上げてきて、「実験」の名の下に彼を生き返らせた。
間違ったのはどこからだろう。銃を取った時か。彼の身体にメスを入れた時か。
 ――それとも。
 そこで男は考えるのをやめた。ひどく――ひどく、悲しかった。
 相手の身体が軽く痙攣し、男の中に熱いものが注ぎ込まれた。一呼吸遅れて、嬌声と共に同じものを吐き出し、男はそこで意識を失った。


 どこかでボイラーの音がしている。
 男はまだ眠っていたかったのだが、帰社する予定があったため仕方なく眼を開けた。
 無機質な色の壁が視界に入る。いつの間にか簡易ベッドに寝かされていたようで、床よりも柔らかくソファーよりも硬い感触が背中の下にあった。
 反対側を向くと、すぐ近くの椅子にヴィンセントが座っている。男は身を竦めた――が、ヴィンセントは座ったまま眠っているようで、整った顔には何の異変も見られなかった。
 ああ、いつもの彼だ。手をついて起き上がろうとすると、腰と尻の辺りにひどい痛みを感じる。それを我慢しつつ上体を起こし、深い溜め息を吐いた。
「……悪かった」
 振り返ると、眼を開けたヴィンセントがひどく憔悴した表情で男を見ていた。
 男はそれを睨みつけ、吐き捨てるように言った。
「二回も、だぞ」
「ああ」
「色情魔め……。君といると、身体がもたん」
 わたしをこんな化物にしたのはあんたの方なのに、とヴィンセントは言いそうになったが堪えた。これ以上面倒は起こしたくなかった。
「悪かったよ」
 暖かい腕に、身体を包み込まれる。男はその腕を振り払おうとしたが、なんとなく気が咎めて、やめた。
「なんだ」
「わたしはあんたが憎い。だけどなぜか責める気にはなれない。なぜだか、わからないけど」
 必要以上に力が篭らないよう、ヴィンセントの腕は控えめで、同時に優しい。
 ――そう、この男は優しすぎる。だから私のような奴に人生を台無しにされるんだ。
 男は顔を顰めた。自分が、歯痒かった。
「寂しかったんだ。それだけ」
 それはヴィンセントの本心ではないのだ、きっと。ぶつけようのない怒りが込み上げてくる。男はシーツを握り締めた。
 いっそ、殺された方がよかったのかもしれなかった。どうして自分がこんなことに苦しまなければならないのか、彼にはわからなかった。
 意を決してヴィンセントの腕を払い除け、ベッドに横になり、椅子に背を向ける。喉の奥がつっかえるようになって、涙が出そうだった。
「次は、もう来ないのか」
 男は何も答えなかった。ヴィンセントは自分に向けられた白い背中に手を伸ばしかけ、やめた。しばらく留まっていたが、やがて静かに椅子から立ち上がった。そして。
 ――ドアの閉まる、音がした。




どこまでもやさしいヴィンセントとぎくしゃくする博士という基本構造。今まで書いたヴィン宝エロの中では結構お気に入りです。