Waiting for an execution




「きみは、解放されたいと思うかね?」
 宝条は、至極唐突な問いをわたしに投げかけた。
「なんのことだ」
「言葉どおりの意味だよ。解放されたいと思っているかね」
 左手のガントレットから視線を声のする方向に移すと、宝条は蓋をされた棺桶に腰を下ろして煙草を吸っているところだった。この男は今日の夕飯について意見を伺うのと変わりない他愛のない表情をして、文学的ともとれる抽象的な話題を繰り出すことがある。
 解放、とわたしは口の中でつぶやいた。頭の中に「かいほう」という響きが反響し始めた。地下に住み家を移してからはおよそ考えも及ばなかったフレーズなのだということに気付いた。それほどに「解放」または「開放」という晴れやかなイメージが想起される言葉とは縁のない生活をわたしは送ってきた。
 宝条は煙草を手に持ちながらじっとこちらのレスポンスを待っているようだ。観察するようにまとわりつく視線は昔からのものなのでもう慣れきってしまった。
 どれだけ経ったのかもわからない曖昧な時間を眠ったまま過ごし続けることからの解放。あるいはもう人間とは呼べぬ、まともでない肉体が生み出す苦しみからの、死という形での解放。あるいは自分を苛み続ける過去の宿命的出来事からの、忘却という形での解放。あるいは。
「解放と言っても色々あるがね。きみの場合は、『絶望』とか『苦しみ』からの解放かな」宝条は彼のこめかみの辺りを指で示した。
 変わらないトーンで質問を続けられることにだんだんと苛立ちを感じてくる。もっとも、根本的な原因はそれとは別のところにあるのだが。精神科医を気取っているわけでもないだろうに、と思ったが宝条はわたしの精神状態に興味を持っているらしいと自分で見当をつけた。肉体に関しては散々試行錯誤を重ねて飽きてきたとでもいうのだろう。残念ながら彼の気まぐれに乗ってやるつもりはない。
 徹底して何も答えずにいると、宝条は喋るのをやめた。わたしは地下特有のこもった沈黙を噛み締めることになった。静寂はいつもわたしをあれこれと思い悩ませる。わたしは解放など望んではいない。解放を望む余地などわたしには与えられていない。
「では、きみは、何からの解放を望んでいるんだ。罪か……」
 煙草を灰皿に押し付けると宝条はまた口を開いた。その声には先ほどよりも楽しげな響きが加わっており、それが再びわたしを苛つかせた。
「それとも私か」
「解放など望まない」
 頬をなぞろうとしていた手を押し返して即座に言い返した。これは本心なのだ。わたしは何から逃れることも望まない。わたしは彼らを止めることができなかった。この男もわたしの罪に含まれるのだ。ここから逃亡し自由になることがすなわち贖罪の放棄につながるのだ。
「支配されるのが好きなのか。君らしくていいじゃないか。さすが神羅の犬だ」
「嫌味は、やめてくれ」
「では、完全なる支配は存在すると思うかね」
 うんざりだ、と思った。今までにも哲学者気取りの妙な議論をふられたことはあったがこの話題はわたしの精神の摩耗を確実に狙ってきている。宝条は些か楽しそうな口ぶりだった。なんとかして彼の興味を他に逸らせたいが適切な考えは何も思い浮かんでは来なかった。
「やめてくれ。わたしには何も答えられない」
「完全な自由など無いのと同じように完全な支配も存在しないと私は思っているよ。だから私は君を支配することはできないし支配しようとも思っていない。でも地獄を与えることはできる」
「やめてくれ」
 額にじわりじわりと鈍痛が広がり始めた。痛みは鉛のように徐々に重さを増し、わたしは床に這いつくばった。汚れたコンクリートのざらつきが気分の悪さを更に助長した。
「私はきみに地獄を与えてしまったな。……地獄など誰にでもあるのだけどね。銃をとってしまった時から、すべてが真っ逆さまにどん底に転がり落ちた。きみにとっての『地獄』は、わたしが与えた地獄なんだ。わたしがきみを殺した。わたしがきみを生き返らせた。わたしがきみをここに閉じ込めた。わたしがきみの愛する人を不幸にした」
「……やめてくれ……」
「苦しいのか。じゃあやめるよ。立てるか」
 宝条はわたしの右腕を支えて立たせ、壁際に座らせた。それは優しさからかといえばまったく違うだろう。この男はいつも何を考えているのかわからない。横腹越しに触れた彼の身体はやはり痩せていた。
「ところで、今日は4月1日だな」などと言いながら手際よく注射器に薬品を入れ始めた宝条の姿はいつもと変わらない。
 地獄は誰にでもある、と宝条は言った。彼の地獄はいったい、どこにあるというのだろう。
 黙って薬の注入を受け入れていると、彼と目があった。黒い瞳の中には吸い込まれそうな深淵が広がっているばかりで、どこを探しても地獄は見つかりそうになかった。





こじつけエイプリルフール。
伊藤計劃の「虐殺器官」(敬称略)を読んで勢いで書いてしまったブツ。スゲー面白かったです。