「きみってやつは」
 宝条の、やや突き出したような形の唇が特徴的に動いて声を発した。ヴィンセントが今までに聞いたことのない、快楽に似たものが背筋をぞくぞくと這いまわるような声音だった。
「知ってるか。赤という色は、概して人を興奮させるものなんだ。それは私も例外ではない」
 この男はいったい何を言っているんだ、とヴィンセントは思った。例外だらけな人間のくせに。大げさな音を立てて椅子から立ち上がりながら、宝条は続けた。わざとセクシュアルな魅力を含ませた声で、容赦なくヴィンセントの欲求を引き出そうとしているようだった。ヴィンセントの頬は、注視しなければわからないほどではあるが、赤らみ始めていた。
「たとえば、きみの瞳」
「きみの唇」
「きみの口内」
 言葉にしたものの順序に従いながら、痩せた指がヴィンセントを指し示した。ヴィンセントは、身震いを隠しきれなかった。嫌悪に満ちた表情に反して、性交の直前のように自分の身体が火照ってくることが、惨めでどうしようもないもののように思われた。
「わからんのか。誘ってるんだよ。ヴィンセント」
「仕事が、ある」
「後で終わらせればいい」
「今? ここでやるのか」
「それ以外に何が?」
 ヴィンセントは、弱々しくかぶりを振るだけだった。そして、もっと強い意思表示ができれば、と自分を激しく叱咤したい気持ちにとらわれた。宝条とそのような行為をすることに何の意味があるのだろう? これが初めてではないが、初めてではないだけに、これ以上深くぬかるみに入り込むのは危険だ。わたしは彼に対して、好意など抱いていないのだから。宝条の手が更にネクタイを引っ張った。

 床でやるのはさすがに即物的すぎたな、と宝条は律動を続ける傍らに思った。身体は機械的な動きをし、頭の中では冷静な思考が渦巻いている。いかなる異性を相手にしているときも、彼は、性交中はいつもそうだった。ある女は冷たい男と言って罵り、また別の女は植物的ね、と彼を神妙なものを見る目で言った。植物的。彼は時おり、自分自身をもそう表現する。確かにそうかもしれない。ことさら肉欲に関しては――、彼は繁殖を伴わないセックスのことを単なる排泄行為だと考えていた。彼以外の男女がどんな気持ちでそのような行為に至るのか、形式的には理解していたが彼はそれに同調しなかった。分泌され蓄積されたものを排出するだけの生理的な行為、それ以上でも以下でもないし、それ以上のことをしたいと思わせる人間はこの世にはいないだろう。
 その持論は、ヴィンセントという男が現れてからは揺らぎつつあった。なぜ異性ではなく同性なのだろう、と宝条は時には考え込む。ヴィンセントは、その顔立ちといい骨格や筋肉といい、彼の学術的視点からこれ以上均整のとれた容貌は周りには存在しなかった。素直に、美しいと思う。しかしどうもそれだけではない、なにか分析しきれない要素が彼を引き合わせるのだ。それがわからなかった。しかしそんなことは今はどうでもよかった。目の前の男の痴態は、これ以上なく彼の本能を昂らせた。
「やめ……て……くれ……」
 断続的に上がる、悲鳴にも似た喘ぎ声の間に挟まれるようにして、ヴィンセントは時おり懇願の声を上げる。自分の前で四つん這いになった長身の男を見るのは、ある種の快楽的な支配感があった。宝条はヴィンセントの頭を押さえつけながら言った。
「きみは赤い色が犯罪的に似合うね。きみの性格が赤を連想させるわけじゃないのに、赤いものを身にまとっているとそれが本来の色であるかのように馴染んでいる。自分ではわからないだろうが」
「宝条……」
「こんなにも狂おしく動物的な気分になるのは君にだけさ。その赤い瞳で見つめられると本当に獣にでもなったような感じだ……」
 血でも流してみれば、もっと危険で本能的なセックスが楽しめるだろうね、と言って男が笑うのをヴィンセントは聞いた。まるで冗談めかすような特有の乾いた笑い声だった。だが、この男なら本当にやり兼ねないかもしれない。いつだって彼がまともな心を持ち合わせているとは限らないのだから……。
 中心から熱いものが弾けて、ヴィンセントは気を失いそうになった。決して丁重な扱いを受けているわけではないのに、なぜこの男との行為は、癖になりそうなリビドーを伴うのだろう。弛緩した筋肉が元に戻るまでの間、朦朧とした頭でヴィンセントはそのことを考え続けた。そして、仕事を終えた後になっても明確な答えは出そうになかった。





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